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「地震・雷・火事・親父」

「地震・雷・火事・親父」とは、故事ことわざ辞典によると「世の中で特に怖いとされているものを順に並べて、調子よくいったことば。」とある。
一説によれば人事の及ばない天災を表した言葉だという。
その際の親父は「大山風(おおやまじ)」が転じた台風のことであるらしい。
どちらにしても怖いとされるものの
捕らえ方はその時代、その地域により様々である。
昔から地震立国?として名高い日本はどうか。
先の阪神・淡路の折は高速道路やビルの崩壊を目の当たりにし、3.11大震災では津波という新たに二次災害の恐怖を味わった。
過去を紐解けば更に富士山噴火などという三次災害の恐怖が加わる。
日本に於いて永く堅牢かつ
高層建築文化が根付かなかったのも地震のせいだといわれている。
手間隙かけて折角造り上げたものが、天災により一瞬にして失われるという意識が背景にあったからだ。
子供の頃は
雷や台風の脅威にもおののかされた。
避雷針の設置や気象情報の発達で「臍を取られる」程の恐怖は和らいだものの、世界的な温暖化や異常気象から新たにゲリラ豪雨や竜巻等による突風被害が頻発している。
つい先日起きたアメリカ・オクラホマ州の大竜巻や中国全土を覆ったPM2.5の嵐が何時何時日本に上陸してもおかしくない雲行きである。
もはや地球は国や国境の壁を越えたひとつの共同体であり、足の先のほんの小さな傷が致命傷になりかねない性を背負った生命体であることは明らかだ。
その中で生きる人類は一心同体の筈である。
先日YouTubeをクルーズしているうちに、地球規模で発生する天変地異を表す映像を観た。
些細な利権をめぐって
未だに国同士で争う人類に対し警鐘を鳴らす意味だろうか?
兎に角
「地震・雷・火事・親父」が可愛く思える程の衝撃の映像である。

Nibiru 2032 - The end of the World HD XD



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あれから2年が経過しようとしている今

ここにお見せするYouTubeに掲載された動画は、過去にテレビや新聞で報道された3.11大地震関連のどの記事よりも衝撃的且つリアルな歴史的映像だと断言する。
2011年1月1日から翌2012年1月1日までに世界各地で起きたマグニチュード4.5以上の地震の震源地とその振幅をオレンジ色の波紋と不気味なバイブレーションとで再現したものである。
まるで地球という生命体の不整脈のようなその現象は凡そ半年余りを経過しても尚継続し、現在に至っても首都圏や南海地区にと新たにその伏線を張り続けている。

////////////平成23年3月11日・午後2時46分///////////



日本国中の誰もが震撼したあの瞬間からもうじき2年が経過しようとしている。
二度とあって欲しくない悪夢の想定と
二度と繰り返したくない被災への対応
でも、
それが自然界の掟であることを我々は否定できない!
地震は、
発生を止めることはできませんが、
被害を少なくすることはできます。


 

全国地震動予測地図

昨年暮れ(2012年12月21日)
政府の地震調査委員会が平成24年版の全国地震動予測地図を公表した。
既に各社・各新聞紙上で一般公開されているので、ほとんどの人が一度は目にしている図だと思う。
thumb_400_01_px400.jpg黄色から赤まで5段階に色分けされており、
赤に近いほど今後の30年間震度6以上の揺れに見舞われる確立が上がるという分布図である。
同時にピンク色の楕円状がそのその震源地の予測分布図である。
一昨年の3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の震源地は三陸沖(仙台市の東方70km)とされ今回の震源地予測図でいうと三陸沖北部と宮城県沖の中間点に当たる。
茨城県沖を含め十勝沖・根室沖にまで伸びる日本海溝を震源とする海溝型地震というのだそうだ。
驚くべきは千年に一度といわれた超巨大地震であったにも関わらず、前回に懲りず今だに90%という高確率で潜伏していることになる。
通常は数十年、百数十年間隔で発生するのが海溝型と思われていたが、今回は観測史上初めて連動型地震であると断定されたからである。
また、昨今よく取り沙汰される南海トラフや相模・駿河トラフを沖合いに持つ東海、東南海、南海地区の湾岸地帯はほとんどといっていいほど警戒区域に指定されている。
特に東海、東南海、南海地区にまたがる「南海トラフ巨大地震」に関する被害想定などが公表されたが、死者数は最大で32万3000人、そのうち津波による死者は全体の7割の23万人に達するという驚愕の想定値であった。
その他、防災科学技術研究所の「地震ハザードステーション」の確立論的地震動予測地図に基ずく関東地区を中心にした詳細予測図も公表されている。
此の方は近隣各地の名所・旧跡や普段に人が集まる行楽地を実名で指し示し警戒感を喚起している。
特に茨城の東海第二原発、静岡の浜岡原発の二ヶ所については福島の悲惨さを思い起こそう。
TKY201212211068.jpg 

最後に、此の前に書いた「元禄・宝永地震に学ぶ」の記事を思い起こしてもらいたい。
1703年12月に起きた元禄大地震と4年後の1707年10月に起きた宝永大地震、更にその2ヵ月後に併発した富士山の大噴火の例である。
元禄が日本海溝に連なる相模トラフ上で発生し、宝永は南海トラフの沿線上に満遍なく発生した事実である。
東北地方太平洋沖大地震が連動型と断定された根底にはこの二つの連鎖がある。
更に、富士山さへもその例外ではないという危惧がある。
「歴史は繰り返す、自然を基に繰り替えされる。」

元禄・宝永地震に学ぶ・その2

およそ310年前の1703年に起きた元禄大地震はその震源を日本海溝に連なる相模トラフとされ、一方その僅か4年後に富士山の大噴火を伴って起きた宝永地震は南海トラフ沿いに広域にわたって発生した断層破壊が原因とされる。
トラフトラフとは4,000メートル級の海底にある深い溝を意味し、非常に活発で大規模な地震発生帯のことである。
ユーラシアプレート東端とフィリピン海プレート北端の接するあたりにあるのを南海トラフ(左図赤線)と呼び、特に北端部の駿河湾内に位置するものを駿河トラフ(左図黄線)と呼ぶ。
しかもそのすぐ北東側には相模トラフ(左図青線)がある。
このように太平洋の深い海底では幾つものプレートが複雑に重なり合ってトラフを形成し所謂誘発地震の基ともなっている。
元禄・宝永より更に太古の昔より連動して幾つもの大地震や大噴火等の災害を引き起こしてきた痕跡は海沿いの津波堆積物や隆起痕などに残されており容易に窺い知れる。
東海、東南海、南海地震などが同時発生するマグニチュード(M)9級の「南海トラフ巨大地震」について、国の二つの有識者会議は29日、被害想定などを公表した。
20120829-017186-1-N.jpgそれによると死者数は最大で32万3000人。
そのうち津波による死者は全体の7割の23万人に達する。
有識者会議では、迅速な避難により津波の死者は8割減らせるとして、国や自治体に対し避難施設や避難路の確保を図るよう求めている。(2012年8月29日読売新聞)




     本当に怖いのは南海トラフ巨大地震より「富士山噴火」?

地震には発生する“順番=シナリオ”がある


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元禄・宝永地震に学ぶ・その1

時は元禄、江戸幕府が開かれ100年が経過した四代家綱、 五代綱吉の時代、巷では天下泰平の下で豊かな町人文化が花開き、商業・流通の発展を背景にかっての桃山文化・寛永文化の賑わいを見せていた。
日本中に蔓延した平和と繁栄のまどろみに多くの人が悲しみや怒りを忘れかけていた最中の1703年12月31日(元禄16年11月23日 )午前2時ごろ草木も眠る丑三つ時の関東地方を未曾有うの大地震が襲った。
世に言う元禄大地震の震源は房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点にあたる。
元禄大地震のコピー マグニチュードは8.1と推定されている。
上総国をはじめ、関東全体で12ヶ所から出火、倒壊家屋約8,000戸、死者約2,300名、被災者約37,000人と推定される。
相模灘から房総半島では津波の被害も発生し、熱海では7m程度の高さと推定される津波が押し寄せ、500戸ほどあった人家のほとんどが流出し、残ったのはわずか10戸程度であったという。
津波は三浦で6~8m、九十九里辺りで5m、 江戸湾(現在の東京湾)入り口の浦賀で、4.5mに達した。
江戸湾内でも津波は影響を及ぼし、本所、深川、両国で1.5m、品川、浦安で2m、横浜で3m、稲毛では3~4m、更に隅田川の遡上も記録されている。
九十九里浜では海岸から5Km程度内陸まで到達し、現在の白子町では1000人、長生村では900人を越える犠牲者があった。さらに北は釜石まで津波が届いている。
この年の3月(旧暦2月)に赤穂浪士46人が切腹しており、浪士たちの恨みで起こった地震と噂された。
元禄地震は社会不安を引き起こし、翌元禄17年には虚説への取締を命じる 町触が出されており、同3月には「宝永」への改元も行われた。
宝永大地震 宝永地震は元禄大地震の4年後の宝永4亥年10月4日午下刻 - 未上刻(1707年10月28日13 - 14時ごろ)、遠州灘沖から紀伊半島沖 (北緯33度12分 東経135度54分 /北緯33.2度 東経135.9度 / 33.2; 135.9) を震源とする東海・南海・東南海連動型地震である。
2011年に東北地方太平洋沖地震が起こるまでは、 記録に残る日本最大級の地震とされてきた。
地震の49日後に起きた宝永大噴火と共に亥の大変と呼ばれる。
噴火の始まる49日前の10月4日(10月28日)に推定マグニチュード8.6~8.7といわれる 宝永地震が起こった。
この地震は定期的に巨大地震を起している2箇所の震源域、すなわち遠州沖を震源とする 東海地震と紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生したと考えられている。
地震の被害は東海道、紀伊半島、四国におよび、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、 津波による流失家屋2万戸に達した。
宝永地震の余震と宝永火口付近直下の浅い地震活動が続く中、11月22日(12月15日)の夜から富士山の山麓一帯では強い地震が数十回起こった。
350px-Mount_Hoei_from_Jyuriki.jpg23日(16日)の10時頃、富士山の南東斜面から白い雲のようなものが湧き上がり 急速に大きくなっていった。 
噴火の始まりである。富士山の東斜面には高温の軽石が大量に降下し家屋を焼き田畑を埋め尽くした。 
夕暮れには噴煙の中に火柱が見え、火山雷による稲妻が飛び交うのが目撃された。
この噴火により江戸でも大量の火山灰が降った。当時江戸に居住していた新井白石はその著書「折りたく柴の記」に当時の降灰の様子を記している。
「よべ地震ひ、この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。」
江戸でも前夜から有感地震があった。昼前から雷鳴が聞こえ、南西の空から黒い雲が広がって江戸の空を多い、空から雪のような白い灰が降ってきた。
元禄と言う長い泰平のまどろみから突如揺り起こされた日本は、実にたった5年の内に幾つもの歴史に残る天変地異に見舞われると言った奈落の底に突き落とされたのである。
相次ぐ地震・火災・水害・旱魃・飢饉に人びとは動揺する。
「公儀」の名において復興や救済を行なう幕府も財政がひっ迫し、思うように統治力を行使できない。
いっぽうで民間に蓄えられた「知」の力が、幕府や藩に取り込まれたり、地域のリーダーとして活躍の場をひろげはじめる。
(参考文献:ウィキペディア)

雪解け

日増しにまぶしさを増す都会の雑踏から逃れ
431987_329269130454486_100001142068562_884096_113837964_n.jpg春まだ浅い北の町に降り立った。
震災が残した爪跡も生々しい
荒野と化した大地を踏みしめた時。
足元に咲く一輪の花に吹き込まれた
一瞬の緩やかな息吹が
復興への思いに私を駆り立てる。
春の到来からまるで忘れられた
遠い山の頂でもようやく
雪解けが始まるだろう。 
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重いコートを脱ぎ捨て 
肩から胸にズッシリ背負った
憂愁を脱ぎ捨てよう。
過ぎたことへのこだわりと
わだかまりから
ゆっくりと解き放たれよう。 
重すぎて受け止められなく
なってしまったものを捨てにきて。
はるか遠くの雪解けを
待ってみるのもいいと
思うようになった。
   
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ヴァリュモア

Author:ヴァリュモア
本年10月に迎えた65歳を期に40年以上に及ぶサラリーマン生活に終止符を打ち、地元横浜市泉区で"ゆたっくりずむ"人生を開始しました。

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